STORY 01
創業からの歩み
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創業明治25年(1892年)。八島工務店の始まりは、初代・久三郎による竈(カマド)造りの石屋にさかのぼります。その材料となったのは、地元の塩竈石でした。塩竈石は重厚で美しい上に採掘や加工がしやすく、コストパフォーマンスにも優れていたといいます。 その後、当時防火性・耐火性の高さでニーズが高まった、岩塀や石蔵倉庫を造るための石材加工を中心に二代目が事業化。現代でも再現が難しいとされる高い技術力をもって、火災に強い低温倉庫の設計にも力を注ぎました。 戦中戦後の混乱期にはこれまでの人とのつながりにも助けられながら、多くの職人たちも育て上げました。 |
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STORY 02
塩竈の
近代建築文化と共に |
特に縁の深かった花巻では、レストラン精養軒、今弘商店寄贈の花巻図書館、宮沢賢治の文庫蔵(現・宮沢賢治記念館)、志度平温泉の千人風呂・岩風呂など、様々な建築物を手がけています。 一方、地元においても、大山米穀店の防火壁、高橋ベニヤのモダンな洋風建築、福釡正宗の酒蔵(現・佐浦酒造)、塩釜高校の前体育館など、塩竈の近代建築文化の歴史には常に塩竈石が共にあり、その面影を今もいくつかたどることができます。 戦後の採掘は、野蒜(東松島市)へと移行しました。野蒜の石はとても硬く、塩竈石に比べ生産量は少ないものの最高の材料。加工した石材は、岩手などの内陸部へは貞山堀を経由し貨車で、気仙沼や釜石などの沿岸部へは船で輸送されました。 |
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STORY 03
災害の多い
地域だからこそ |
昭和37年(1962年)には建設業の許可登録を取得、公共事業を請け負う工務店として新たにスタートしました。 塩竈のある宮城は、地震や津波、台風などの災害が多い地域です。しかしそんな環境にありながら、宮城県沖地震(1978年)や東日本大震災(2011年)の際にも、これまで私たちが手がけてきた建物などへの被害は幸いにもほぼありませんでした。 設計・構造を理解し、後々の安全面にも責任を持った仕事をする。海が近く地盤の弱い地域だからこそ、基礎工事の手は決して抜かない。そんな当たり前でいて決して忘れてはならない姿勢は、今も変わらずに受継がれています。 この地で歩んできたからこその経験を教訓に、八島工務店はこれからも人々の日々の生活に貢献してまいります。 |
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商号 | 株式会社 八島工務店 |
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創業 | 明治25年4月1日 |
代表者 | 代表取締役 八嶋 宏之 |
資本金 | 20,000,000円 |
事業内容 | 総合建設業 不動産業 |
建設業許可 | 宮城県知事許可(特-3)第825号 土木工事業 建築工事業 大工工事業 とび・土木工事業 舗装工事業 しゅんせつ工事業 内装仕上工事業 水道施設工事業 解体工事業 宮城県知事許可(般-3)第825号 管工事業 |
宅地建物取引業者免許番号 | 宮城県知事許可(11)第2419号 |
産業廃棄物収集運搬許可番号 | 許可番号00404106769 |
取引銀行 | 北日本銀行 塩釜支店 七十七銀行 塩釜支店 |
従業員数 | 18人 |
所在地 | 【本社】 【営業所】 【機材センター】 |
明治25年 4月 | 八島石材店として設立。 |
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昭和14年 9月 | 八島工務店と改名。土木建築請負業者を営業。 |
昭和26年 2月 | 宮城県知事許可登録。 |
昭和44年 1月 | 株式会社八島工務店と改組、現在に至る。 |
昭和52年 12月 | 宅地建物取引業者許可登録。 |